コミュニケーション力を高めていく日々のトレーニングの一つに、
相手の背景に関心を持ち続ける、というのがあります。
例えば、妙に偉そうにしている人がいるとして、
その人が偉そうにしなければならない事情は何か?
と想像してみるのです。
小さい頃の僕は、
家族で食事に行ったときに、店員に偉そうにする父が大嫌いでした。
威圧的に相手を押し込もうとする父に違和感を持っていました。
テレビを見ていて、『実にくだらん』とジャッジする父を疑問に思っていました。
めちゃくちゃ偉そうだったのです。
父が亡くなって、父の本棚を見て愕然としました。
「なぜ自分は理解されないのか」
「人が付いてくるリーダーシップ」
「あなたは価値がある人間だ」的な、なんともコンプレックスを感じさせるようなタイトルの本が並んでいたのです。
父は、自分にコンプレックスを感じていたからこそ、
つまり、自分を自分自身で低く評価していたからこそ、
誰かを貶めることで、マウントをとることで、
自分の低い評価を高めようとしていたのでしょう。
逆も考えてみました。
もし自分自身をちゃんと認められている人ならどうか?
自分を認められている以上、相手の上に行くとか、貶めるとか、する必要がないのではないかと。
なんとなくそんなことに気づいてから、
偉そうな人にムカつくというよりも、
その人なりに苦しんでいる結果なのだろう、とみることができるようになりました。
そう考えると、
思春期に不健全な様相でぐれる彼らも、愛されたいのだ、と思えるようになりました。
電車が事故で止まったときに、駅員に怒鳴りつけるおじさんも、
何か普段から溜まっていることがあるのだろう、と解釈できるようになりました。
これらは事実でなく、解釈ですが、
少なくとも、相手に何があったのだろう?とじっくり話を聞けるようになりました。
相手の事情や背景に予測がつくようになると、
相手の表面的な言動にむやみに反応せず、
本来必要なコミュニケーションが取れるようになっていきます。